この先に続く道

2006年2月18日
また鬱的日記。

振り返ると、昨年末から、どうも調子が悪い。
まあ振り返りだすと何年も前までさかのぼりそうだが。
特に悪くなったり、ちょっとましになったり、という波はあれど。
漠然とした焦燥感は常に付きまとっている。
お金をもらわないと、痩せないと、上手くならないと、仕事で成果を出さないと、
・・・など。
「〜したい」ではない。
「〜しないといけない」なのだ。要は義務感。

明るく振舞えるけれど、ふとしたことで涙ぐむ。苛々する。
自分のちょっとした失敗とか。
相手の他愛もない一言とか。
偶然隣を歩く他人のふとした仕草とか。
自分の中にたまった毒素は、酒の力で暴発する。

フリーターの給料では限界がある。
ましてや私は自慢にもならない浪費家だ。
食費(酒代)と合唱代でどれだけかかるんだ。。。
ここ1週間、家で飲む酒の量を減らした。
毎朝お弁当を作るようにした。
でもまだ根本的な気質が変わってないのだから焼け石に水。

そろそろ就職をまた考えようかと思う。
でも、ここまで仕事を通じて見てきてしまった「人の心の醜さ」はもう私の心から消すことは出来ない。
どんな仕事をやっても、結局、世の中の不条理に巻き込まれるしかない。
それに甘んじるしかない。
「きれいごとでは食っていけない。」
社会人になる前に言われた言葉はまさにその通りなわけで。

そして、まだこのバイトをやめるわけにはいかない。
すでにクライアントには愛想つかしているのだが。
私の後釜を育てない限り、綺麗に後腐れなく出て行くことができない。
散々もめて蹴散らして出て行って、これ以上後ろ指差されるのはまっぴらだ。
しかし、問題は、後釜になれそうな子がいないこと。
最近入った新人さんに一応目をつけているが、まずは彼女が倒れずに通常の業務をこなしてくれることを祈るしかない。

目標がない。
やりたい、と思ってきたことはまるで砂上の楼閣のように、さらさらと崩れてゆく。

確かずっと前に、うたうために生きているとここに書いた気がする。
でも今は何でうたってるのか、よくわからなくなってしまった。
声を出している瞬間は楽しい。
でもなぜこんなに気が進まない?
飽きっぽい私のことだから、合唱に「飽きた」のだろうか。

私は人の喜びを生み出す為に、人に感謝してもらえるように、働きたいと思ったのではないのだろうか?
でも今は、人の身勝手さに呆れ、疲れ果てている。
そもそも人に感謝されたいと言うのは、私の傲慢なのではないのか?
私の蔑む身勝手な人々と結局同じ「人間」なのだろうか。
なんてことを言ったら、また「詭弁だ」と笑われるのだろうか?

もし、子供を生んだとしても、育てていけるだろうか。
この生きにくい世の中で、何も知らない人間に歩く道を教えることができるのか?
自分を生かすことで精一杯だというのに。

ニュースを見ても吐き気がする。
私は「生かされた」人間だ。
ニュースでは絶えることなく、生きたいと願いながら死んでいった人々と、彼らの死を悼む涙が映る。
それだけではない、人は哀しみの名の下に人を傷つける。
これを、何を思いながら観ればいい??
友は、そのやりきれなさをうたうのだ、その哀しみを少しでも少なくするために、うたうのだ・・・、と言うだろうか。
それが音楽を造るものの定めだと。

この先、何を思って歩くのか。
私は何の為に、今夜眠るのか。
そして何の為に起きるのか。

もう、「何の為に」と考えないのがよいのか。
ただ漫然とこの先、寝て、食べればよいのか。

悠然、とありたかったのだが。
私には100万年かけても叶わないだろう。



今夜はグチにつきあってもらおう。
でもグチ吐きながらの酒は明日に残るのだが・・・





この文章を、「このときはバカだった」と笑えるだろうか。
そのときには、心の真の底から笑えているだろうか。




自分で初めてつくったナムルが美味くつくれた。
レシピ教えてくださったchesterさん、ありがとうございます。

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