死んだあの人を想うということ
2004年10月23日今日は三回忌法要。
結局、妹たちはというと、真ん中は授業のため、食事会のみ参加。
下の妹は仕事だった。
連絡すると、「え、24日(命日)じゃないの?」
…いや、違うだろうよ…早めにやるもんだ、ってお前らにも教えたやろうが。
っていうか、お前たち、「無理」とさらりと言うな。違うやろ、リアクションが。
特に下の妹。実の姉に、携帯番号くらい教えておけよ。
とりあえず、絶対片付けが必要なことはわかってたので、
「仏壇のある部屋&リビングをどれだけいじっても文句言わない」了承だけ得ておく。
朝、実家に帰ると。
案の定、ぜーんぜん片付いていない。親戚もいる前で、愕然とした。落胆した。泣きそう、動きが止まりそうになったので、あわててクスリを飲んだ。
親戚に手伝ってもらって片付けた。
親戚はみんな母の親、兄弟なので、正直、仏壇が汚かったことに怒っていたと思う。私の目の前では何も言わなかったけれど。
「お前の家に連れて行ったほうがいいんちゃうか?」
あれは冗談ではなかった。そして、私はそれを実行に移すことにした。
法要のあと、仏壇を私の家に運んだ。
夜、友達と遊んでいるときに、別居してる父親から電話があった。
「おまえ、今日のこと、俺に何も言ってないやろ!俺お供え何も出来へんかったやないか!どういうことや!!しかも家もめちゃくちゃにしたらしいな!何を考えてるねん!!!」
…がっくりきた。
めちゃくちゃって…仏壇横に自分の趣味のマンガをそのまま置きっ放しにしてたら、そりゃどけるでしょうが。
親戚の前で、「これをどけたら妹に怒られるから…」なんて言えるか??
確かに、日程の決定、伝達においては、私は今回、失敗が多かったと思う。
去年の方が上手かった。それは確かだし、アナウンス漏れは私のミス。
でも、そういう問題ではないだろう、と思う自分がいる。
普通、命日のちょっと前には法要を行う。という「常識」を知っているならば。
そして、それの直前になっても、アナウンスがないならば。
しかも、喪主が仕事の為に鬱になり、今も治療を続ける人間ならば。
喪主が、かつて、であっても「家族」であれば。娘ならば。姉ならば。
…一言、メールでもいい、欲しかった。「おかんの三回忌、どないなってんの?」
お供えだって、命日でも、法要から一日遅れてもいいじゃないか。
ていうか、いつだっていいじゃないか。
誰に見せたいのだ、「悼む」姿を。
本当に、悼んでいるのなら、命日にもかかわらず、仏壇はきれいで、花が生けてあって、何か前にちょっとお菓子でも置いてみたりするんじゃないか。
キレイにしておいてあげよう、こんなの食べたいかな?お花きれいやろ?…そんな会話があるだろうよ。
例えそれが、別れた元妻であっても、人間として、出来ることをするべきじゃないのか?
私にキレたあとでも、出来ることはあるんじゃないのか?
私が家に居たときは、不十分でも、至らなくても、私なりに母を想ってきたつもり。
心ならずも家を出ることになって、一番気がかりだったのは、母を実家に残していくことだった。
もういい、私と母とで生きていきます。
…こんなこと、言いたくなかったよ。
結局、妹たちはというと、真ん中は授業のため、食事会のみ参加。
下の妹は仕事だった。
連絡すると、「え、24日(命日)じゃないの?」
…いや、違うだろうよ…早めにやるもんだ、ってお前らにも教えたやろうが。
っていうか、お前たち、「無理」とさらりと言うな。違うやろ、リアクションが。
特に下の妹。実の姉に、携帯番号くらい教えておけよ。
とりあえず、絶対片付けが必要なことはわかってたので、
「仏壇のある部屋&リビングをどれだけいじっても文句言わない」了承だけ得ておく。
朝、実家に帰ると。
案の定、ぜーんぜん片付いていない。親戚もいる前で、愕然とした。落胆した。泣きそう、動きが止まりそうになったので、あわててクスリを飲んだ。
親戚に手伝ってもらって片付けた。
親戚はみんな母の親、兄弟なので、正直、仏壇が汚かったことに怒っていたと思う。私の目の前では何も言わなかったけれど。
「お前の家に連れて行ったほうがいいんちゃうか?」
あれは冗談ではなかった。そして、私はそれを実行に移すことにした。
法要のあと、仏壇を私の家に運んだ。
夜、友達と遊んでいるときに、別居してる父親から電話があった。
「おまえ、今日のこと、俺に何も言ってないやろ!俺お供え何も出来へんかったやないか!どういうことや!!しかも家もめちゃくちゃにしたらしいな!何を考えてるねん!!!」
…がっくりきた。
めちゃくちゃって…仏壇横に自分の趣味のマンガをそのまま置きっ放しにしてたら、そりゃどけるでしょうが。
親戚の前で、「これをどけたら妹に怒られるから…」なんて言えるか??
確かに、日程の決定、伝達においては、私は今回、失敗が多かったと思う。
去年の方が上手かった。それは確かだし、アナウンス漏れは私のミス。
でも、そういう問題ではないだろう、と思う自分がいる。
普通、命日のちょっと前には法要を行う。という「常識」を知っているならば。
そして、それの直前になっても、アナウンスがないならば。
しかも、喪主が仕事の為に鬱になり、今も治療を続ける人間ならば。
喪主が、かつて、であっても「家族」であれば。娘ならば。姉ならば。
…一言、メールでもいい、欲しかった。「おかんの三回忌、どないなってんの?」
お供えだって、命日でも、法要から一日遅れてもいいじゃないか。
ていうか、いつだっていいじゃないか。
誰に見せたいのだ、「悼む」姿を。
本当に、悼んでいるのなら、命日にもかかわらず、仏壇はきれいで、花が生けてあって、何か前にちょっとお菓子でも置いてみたりするんじゃないか。
キレイにしておいてあげよう、こんなの食べたいかな?お花きれいやろ?…そんな会話があるだろうよ。
例えそれが、別れた元妻であっても、人間として、出来ることをするべきじゃないのか?
私にキレたあとでも、出来ることはあるんじゃないのか?
私が家に居たときは、不十分でも、至らなくても、私なりに母を想ってきたつもり。
心ならずも家を出ることになって、一番気がかりだったのは、母を実家に残していくことだった。
もういい、私と母とで生きていきます。
…こんなこと、言いたくなかったよ。
コメント