ゆうべ、先輩の送別会から帰ったら、妹達の爆弾が待っていた。
最近爆食傾向の強いおいら、自己嫌悪にハマっているときに、いきなり妹に「八つ当たり」(おいらにはこう思えた)された。
おかげで、こっちのストレスが噴出してしまった。

どうせわしは、都道府県が認めた「キ○ガイ」じゃ!
お前らの言うことなんかわかるわけあるか!
お前らのペースになんかついていけるか!
俺は俺で生きていく、あとで俺の存在がどれほどのものやったかわかるやろ!
荷物は後で取りに来る、もうお前らとは暮らすつもりはない!


と、言ってしまいました!

でもこれは、売り言葉に買い言葉では決してなく、今の正直な私の考えなのです。

「血の繋がった家族はかけがえのない存在だ」「『家族』を捨ててはいけない」とお考えになるかもしれません。
でも、それは私も十分わかってるつもりです。
だから、ここまで彼らを育ててきたのです。
社会人生活の間、ずっと私は亡くなった母を含めた家族の為に働いてきました。
別にそれが嫌だとか思ったことは一つも無かった。
それは当然のことで、わたしのやるべきこと、何より「やりたいこと」だった。
母が生きていたときは、母を養いたかった。
死んだ後も、妹達をちゃんと巣立てるようにしたかった。
それだけが私の希望だった。
そのために、毎日ぐちゃぐちゃになりながらも働いた。


その結果がこれです。悲しいもんですわ。

彼女達にも、彼女たちのペースがある。
今までの私なら、パワーの残った私なら、きっと彼らを尊重できただろう。
しかし、今の私には、それはできない。
今のままなら、家に帰ることがただの苦痛でしかない。

ゆうべ、近所のホテルの部屋から、久々に父親に電話をした。
病気のことは父親には言いたくなかったけど、伝えることにした。
かけたくなかった心配を、かけることにした。
私一人の力で、どうにかできる範囲を超えてしまったのだから。

結局、私は多分、父親が今住んでいる部屋をもらうことになるだろう。
そして、父はきっと、妹達を連れて、どこか別の(市内の)所に住むことになるだろう。
この話は、母が亡くなったときにも出ていた話だから、父も心積もりはある程度できていたようだ。
妹達には、父からも話をする、ということで、ゆうべの時点では終了。

今は、父親が嫌だとか、この町が好きだとか、妹達と会えないとか、母親の仏壇とか、なんだかんだを言ってる場合じゃない。
今やるべきことは、自己防衛だ。
治療なのだ。

昼休みに、再度父親と話をした。
いきなり「引越しして一人暮らし」でなくても、暫くの間、別れて過ごすことで距離をおきたいと思っていることを伝えた。
まあ、暫く父親の家に泊めてくれ、ってことになるんですけどね。
ホテル代もバカにならないから。てか高いし。
今日は父親は仕事で家に帰らないので、明日の夜から泊めてもらうことに。
でも、わたしと父親、本当に一緒に住むことになったら、近いうちに絶対、妹とは比べ物にならないくらいの喧嘩になる。
間違いない!(長井秀和的)
あくまで仮住まい、するならするでさっさと決めてさっさと動きたい。

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